「人生の転機」
2012.03.16
「人生の転機」
鎌ヶ谷営業所事務 渡辺 です。
過去を振り返えると・・
29歳の時、朝まで働き、人間的余裕のない生活をしていました。
私ごとですが、今月次の世代に突入いたします。
20代最後の年末、帰宅途中信号待ちをしていた時。
ふいに足元がふらつき、そのまま後輩の自転車にぶつかりたおれました。
当時流行っていた厚底ブーツのせいもあり、そのまま半回転してしまいました。
恥ずかしいことにそのまま起き上がることができず、左足首脱臼骨折をしてしまいました。
翌日病院に行き手術をしないと治りが遅くなるということで、
当時勤務していた会社を3カ月お休みを頂き、人生初の入院生活が始まりました。
その頃の私は仕事ができて当たり前、遊べて当たり前。
自分の思った通りになって当たり前星人でした。
入院した病室は6人部屋でもう嫌で嫌で仕方なく、何で個室じゃないんだと
文句を言ってました。
初めは、同じ病室の患者さんと接するのを拒んでいた時もありました。
そして手術への恐怖と腰椎麻酔の恐怖
今までの人生をこの入院を機に考えさせられる日々が始まりました。
同じ病室の患者さんは、私以外全員重い病気の患者さんと知り、
私は切ない思いでいっぱいでした。
同じ病室の中で私の娘と同じ年の子供を持つお姉さんがいて、
今までの人生全く自分と知り合うきっかけのないタイプの人でした。
子供がお見舞いに来るたび絵本を読んであげたり、すごく温かい人でした。
(当時私は子供にそんなことをしたことがない人間でした)
私は術後で痛い~とか抜糸は嫌だ~痛いから話しかけないでえ~とか
当時まだ小学生の娘に対して文句ばかりで、あげくの果てには
車いすを押させることもありました(笑)
そんなわがまま聖人の私にも、そのお姉さんは分け隔てなく接してくれて、
私はチョコレートに負けちゃうから代わりに食べてと・・
えっチョコレートに負けるってどんなことだろうって。
お姉さんは周りの人達や子供に辛い姿を一切見せず必死に病気と闘っていました。
そんな日々が続き私も完治に向かい私は病室が替わり、
そのお姉さんと会うことができなくなりました。
しばらくすると私が足が不自由だからといってと点滴をしながら、
当時、私の憩いの場(笑)まで心配で探しにきてくれたり、
病室が変わってお話できないからとお手紙をくれたり・・
私は頑張ってねと、そんなことしか言えない情けない人間でした。
今まで自分は人の為に何か行ってきたのか?
当時の仕事は、日々働き一日が終わる。
人の気持ちなんて今思えば余り考えていない生活でした。
そして私は退院をし、リハビリ通院しながら通っている中、
ふとお姉さんのことが心配で病室に行きました。
残念ながらその日の朝亡くなっていました。
子供を残して・・・
そしてお姉さんの葬儀の返礼品は、お茶との抱き合わせで一冊の絵本でした。
私はその絵本を見ると涙が出てしまうので、読めないでいました。
数年立ち、当時の会社の後輩に、子供に読んであげてと絵本を頂きました。
その絵本は、返礼品で頂いた絵本と同じでした。
未だ読めないまま同じ絵本が二冊、私の思い出に眠っています。
そんな節目の20代から30代の出来事でした。
この出来事がきっかけで娯楽業から転職を決めて、
モリ・エンタープライズに入社して5年が立ちました。
今後、お返し業務に携わり・・
思うと貴重な出会いと怪我の20代から30代の節目でした。
まだまだ人間的にも●●星人なところがある私ですが、
毎日感謝を忘れず素敵な(笑)40代にしたいと思います。
次回ブログ更新予定は、3月19日です。