「雪國」
2014.02.14
「雪國」
業務部納品課、武田です。よろしくお願いします。
45年振りの大雪で千葉県は北国へと変貌しました。
おかげさまで、お取引先から帰社途中の道中で2度のハプニングに襲われました。
1度目は、ゆるいカーブがある上り坂で順調に上っていた所に
前方から10tの大型トラックが登りきれずに滑りながら私が運転する社用車へ迫ってきました。
幸い対向車線に車がいなかったのでその車線を使い、バックで登ってきた道を戻り難を逃れました。
2度目は、これもまた坂道でしたが、順調に登っていたらそこに信号が・・・
それは歩行者専用押しボタン信号で、4m手前くらいで赤信号に変わりました。
坂道で止まるわけにはいかないので、ゆっくり車を動かしながら青信号に
変るのを待ちましたが、こんな大雪で歩行者の方々も歩くのに大変ですから
私とのタイミングが合わず、ついに坂道で停止してしまいました。
案の定、そこから車は滑ってしまい動かくなりました。
これまた幸いで、私の後ろに車がいなかった為、
下がりながら道の端に車を寄せて止まることができました。
色々手段は尽くしましたが、結局脱出出来ず・・・
夜中の12時頃、近所の方がスコップを持って助けに来てくれました。
結局それでも脱出出来ませんでしたが、凄く嬉しかったです。
そのまま車中にて朝の7時になり目を覚ましてみると、晴れていて
路面を見てみると少し雪が解けていて、なんか行けそうなきがすると思い
10分くらい頑張っていると脱出成功。
午前中には会社に車を戻さないといけない気持ちと、
寒い中スコップを持って来てくれた近所の方のお陰で無事に8時30分に帰社。
帰社後はみんなで雪かきでした。
そんな車中一泊している時にFacebookを見ていたら
とても感動する話を見つけましたので紹介させて頂きます。
東日本大震災の中での感動エピソード。
ヤンキーが
お年寄りを背負い避難した。
交通整備をした。
車いっぱいに支援物資を積み避難所に届けにきた。
子供がお菓子を持ってレジに並んでいた。
順番が近くなりレジを見て考え込んだ。
そしてレジ横にあった募金箱にお金を入れ、
お菓子を棚に戻し出ていった。
レストランがほぼ満席の状態の時に地震があり、
お客さんに外に避難してもらった。
食い逃げされてもしょうがない状況でほとんどのお客さんが戻って会計をした。
献血施設は被災地の方の為に超満員の順番待ちだった。
電車が停まり駅は大混雑。
その中、駅ホームで電車を待つ人にホームレスの人達が
「寒いからこれどうぞ」と段ボールを配った。
何時間もかけて歩いて帰る人の為に自宅や会社を避難所や
トイレとして解放する人がいた。
自衛隊員は背中に2人、両腕に1人ずつ、計4人抱え避難する。
しかし被災地の吹き出しがたとえ余っても自衛隊員食べず、
缶詰の冷たいご飯食べた。被災地の人用にお風呂を用意しても自衛隊員は入らない。
そして、出来る全ての事をやったらひっそり帰る。
そんな自衛隊がいた。
急に給食中止でお弁当持参になっても
「お弁当忘れちゃった子がいたら食べさせてあげて。」
と余分におにぎりをにぎってくれる保護者がいた。
4人家族なのに「皆で分けあって食べます。」と3つしか
おにぎりをもらわない家族がいた。
満員の電車で妊婦に席を譲るお年寄りがいた。
大変な状況でも避難指示を英語や韓国語で混乱している
外国人を優しく誘導し外国人まで気を配る日本人がいた。
そんな3月の寒さを感じさせない日本人のあたたかい行動は世界に広がり、
日本人が韓国のタクシーに乗った時、お金を払おうとしたら
「日本人でしょう?日本に帰ったらこのタクシー代を寄付して下さい。」
と言われ、多くの国から支援物資が届いた。
避難所でおじいさんが
「これからどうなるんだろう」と漏らした時、
横にいた高校生が
「大丈夫、大人になったら僕らが絶対に戻します。」
って背中をさすって言った。
以上がFacebookの内容です。
とても感動しましたので紹介させて頂きました。
そんなこんなで車中で一泊し家に帰って見ると
子供達が無邪気に雪で楽しんでる姿を見て
自然と幸せを感じた一日でした。