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福島営業所

2022.03.14

『道の駅』


福島営業所の長沼です。
春に向け少しずつ暖かい日が増えてきましたが、
3月に入っても福島では雪が降り
朝晩の寒暖差も激しい日々が続いています。
体調管理に気を付けて過ごして行きたいと思います。

さて、今回は「道の駅」のお話をしたいと思います。
以前から夫婦で福島県内、関東の「道の駅」巡りが趣味の私達ですが
コロナの影響もあり最近はもっぱら県内の「道の駅」を巡って休日を過ごしています。
その土地の野菜や特産物を買ったり名物料理を食べたりと楽しく過ごしています。
そして近場の温泉を調べ入浴して帰ってくる。ということをしています。

県内には現在34か所の「道の駅」があり、
調べたところ31か所に行ったことがあることが分かりました。
今は残りの3か所を制覇するのが目標です。
また、4月末に35番目の「道の駅 ふくしま」がオープンします。
建設中のところを通ったことがありますが、
大分大きい施設になりそうです。今から楽しみにしています。

ここで、県内の私のお気に入り「道の駅」ベスト3を紹介したいと思います。

<第3位>・・・「道の駅 しもごう」 南会津郡下郷町 国道289号線(甲子道路沿い)
会津は蕎麦の一大産地ですが、ここの蕎麦が絶品なんです!(天ぷらも美味しい!)
雄大な三倉山を望みながら食べれば穏やかな気持ちになり、
更に美味しさが増すこと間違いなし!
また、近くには大内宿や塔のへつり、会津からむし織の伝承館、
全国でも珍しい茅葺屋根に覆われた湯野上温泉駅の足湯など
人気スポットがたくさんありますので観光にも適していますよ。

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<第2位>・・・「道の駅 ばんだい」 耶麻郡磐梯町 県道7号線沿い
喜多方ラーメンを食べに行くときには必ず立ち寄ります。
地場の野菜や土産品が豊富に取り揃えてあり、いつも大量買いしてしまいます。
これまた、磐梯山の裏側(通称:裏磐梯)の眺望は圧巻です!

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<第1位>・・・「道の駅 あいづ 湯川 会津坂下」 河沼郡湯川村 国道49号線沿い
私の一番のお気に入りです。会津若松の奥にあり、新潟県からの来場者も多いと聞きます。
比較的新しめの場所で清潔感と開放感があり、
いつも何かしらイベントが開催されていて毎回楽しんでいます。
食事も美味しく野菜、土産品も充実しています。
他にも地方でしか採れないような野菜、豆、葉っぱなどを加工して
販売している商品が圧倒的に多く、それを求めに行くときもあります。

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以上、お気に入りベスト3でした。
いずれも会津地方なんですが、やっぱり山があって
水も空気も綺麗な「道の駅」がお勧めです。
食の豊かさと自然の豊かさで気持ちが晴れやかになりますよ( ´艸`)
他にもたくさん魅力的な「道の駅」がありますので、
福島に来た際には是非立ち寄ってみて下さい。

2021.11.29

『寒くなりました』


福島営業所の齋藤です。

朝晩冷え込む季節になりましたね。
天気が不安定な日が多く体調崩してしまっている方もいるのではないでしょうか。
しっかり食べ、湯船にゆっくり浸かって、よく寝る。
常に体調には気を付けているつもりではいますが・・・
ちょくちょく風邪をひきます(笑)
個人的には夏が好きですね!

ですが、この季節ベストなのがゴルフです。
暑すぎず寒くもなく丁度いい時季なんですよ。
休日には練習場へ行って汗を流したり、
友人や父とコースを回ったりしています。
ゴルフ場の澄んだ空気と、美味しいビールが最高です(笑)
もちろん運転はしてませんよ!
なかなか人の集まる所へ行きにくい今ですが、
密になる事もなく、自然の中で汗を流せるので
私にとっては最高の遊びです。

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みなさんもストレスの溜まる生活になっているかと思います。
ニュースでは特効薬も年内中に出来るような話もあり、
前向きな話が出てきた事に喜びも感じています。
一日でも早く落ち着いた日常に戻り、
仕事もプライベートも充実した生活が出来ればいいなと思います。

2021.11.19

『母の死を迎えて』


福島営業所の栁沼です。

今回のブログは、母の死を迎えた現在の心境を綴ります。
母は四年前に脳梗塞を患い、それが原因で左半身が利かない状態となり、
不自由な生活を送っておりました。

半身が利かなくなると痒いところに手を伸ばすことができず、
とりあえず届くところを掻いてしまうため、
炎症が起きていない所が痣になるなど辛い状態が続いておりました。

母は、私にこの様な姿を見せてしまう事にとても悔いる思いがあるようで、
その事を伝えられた時は親子と言え感慨深いものがありました。

享年88歳、大往生です。
父も享年88歳なので、母が夏頃入院した際は年を越せるだろうか?
父は3月だな。
母のことだから父を越えずに合わせるかな?
そんな事を考えておりましたが、やはり越えなかったですね。
なんとなく母らしいなと感じ、微笑ましくも思えました。

私としましては最低限思うことで、
親より先には行かず見送ることができほっとしている一面もございます。

葬儀を出すということは、
自分に関係する全ての方の御恩を感じることができ、
感謝以外に今は言葉が浮かびません。

家族葬ではありますが、
人に振る舞うことがとても好きな母なので、
現在のコロナ禍であってもその事に変わりはありません。
飲食での接待が厳しいこのご時世ですので、
返礼品とは別にプレミアム・チョイスをセレクトし、
おもてなしの代わりとさせていただきました。

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チョイスギフトなので、掲載されている商品から選んで頂ける事と、
母の思いを代弁出来ればと考えて選びました。

11月も下旬に差し掛かり、福島は昼と夜の寒暖の差が激しく、
いつ雪が舞い降りても、なにもおかしくない日が続いてますが、
直ぐに49日。
過ぎれば一周忌。
その翌年は三回忌になりますので
中々落ち着いては居られないようです。

皆様のご縁に感謝いたします。
ありがとうございます。

2021.11.10

『大国の歴史に興味を持つ』


今回ブログを担当します福島営業所の山本です。

最近興味を持ち始めたのが、
中国の春秋戦国時代のお話「キングダム」です。
秦のまだ幼い王が始皇帝になるまでのお話で、
結構前から有名だったのですが、
自分はグロいから見たくないなーと思って見ていませんでした。
でも見てみたらそこまでグロくなく、戦いも白熱して、
話も面白いのですぐに引き込まれました。

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ネタバレになってしまうのであまり話せませんが、
主人公の信に大きな影響を与えた人物が
戦いによって亡くなってしまったときには、
涙が勝手に出てきてしまうほどでした。
史実とはキャラクターの設定など少し違う所はあるみたいですが、
漫画にする上ではしょうがないと思います。
キャラクター達も個性豊かなので少しでも興味がある方は是非見てほしいです。

それよりも前に子供のころから興味を持っていたお話があります。
これも中国の有名なお話「三国志」です。

子供のころにゲーム「三国無双」で興味を持ち始め、
横山光輝の漫画「三国志」でさらに興味を持ち始めました。
最近では中国の歴史ドラマ「スリーキングダム」を見て
ますます興味を持ち始めました。

三国志の時代には字という名前とは別のニックネームのようなものがあります。
名前とは別のものがあるというだけでかっこいいと思い人物の字を覚えることが好きでした。

三国志で好きな国は「蜀」です。
だいたいは物語上で「蜀」は正義の味方「魏」は悪者として書かれることが多く、
蜀は最終的に滅ぼされてしまうのですが、
日本人の趣向として負けている方を応援したくなるので
「蜀」が好きな人は多いと思います。

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三国志で、好きな人物は「蜀」の有名な武将「趙雲」です。
敗走戦の長坂の戦いにて、主君である劉備の赤ちゃん
「阿斗」(後の二代目蜀の皇帝 劉禅)を
囲まれる大量の魏の兵から単騎で助け出すという話があります。
劉備も魅力あふれる人ですが、趙雲の劉備に対する忠誠心に好感を持てます。

いろいろと面白い逸話や白熱する戦いが多いので「三国志」もおススメです。
語りたいことは山ほどあるのですが、長くなってしまうのでこの辺で終わりにします(笑)
↓巨大関羽像

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コロナの状況が落ち着けば中国にも行ってみたいものです。
状況は良いとはまだ言えないですが、
より一層仕事を頑張っていきますので宜しくお願い致します。

2021.09.01

『絆』


皆様こんにちは。福島営業所の長沼です。
コロナの影響で県外に出ることさえ、
ままならない状況が続いていますね。
厳しい日々が続きますが
頑張って過ごしていきたいと思います。

さて、今年の夏は私たち夫婦共通の友人夫婦がいる
千葉県の夷隅市(御宿)に
三年ぶりに二泊ぐらいで遊びに行こうかな。
と計画していました。
まあ、世の状況があるので
実現は難しいだろうと思いながら
過ごしていましたが・・・
案の定GW明けごろから再度感染者が増え始め
緊急事態宣言の再発出、
福島県内も初の「まん延防止等重点措置」の適用。
ということで今回の旅行は諦めました。
また、岐阜県の垂井町というところにも
同じような関係の友人夫婦がいるのですが、
いずれ旅行に行ったり福島に来てもらったり。
したいなと考えています。

この二組とはお中元やお歳暮のご挨拶をしているのですが、
なかなか会えない距離でもあるので
毎回少々豪華な物を贈り合っています。
千葉県からは奥様の実家が勝浦なので
魚介(伊勢海老や干物など)の詰合せなどが届きます。
岐阜県からは飛騨牛や明宝ハムなどが届きます。
いつも美味しくいただいています。

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こちらからは・・・というと
福島県は果物の一大産地で、
どちらの家族も果物が好きなので
夏は大振りの桃(4L~5Lサイズ)が定番で、
冬はというと福島牛や川俣軍鶏などを贈っています。

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毎度お互いに、美味しかったね~。
と喜び合っています。

物のやりとりだけだは無く、
災害情報が流れればいち早く心配の電話を頂きます。
遠くにいても心はしっかり繋がっていることを再認識する瞬間です。
今後も惜しみなく気遣い、心遣いを継続し
更に「絆」を深めていきたいと思います。

目配り、心配り、気配りは仕事にあっても大事な要素です。
それが出来れば自分の成長にも繋がると信じています。

美味しいものをたくさん頂き、新たに活力が漲りました。
また明日から頑張っていきたいと思います。

2021.05.12

『1日でも早く』


毎日暖かく気持ちのいい季節になりましたね。
休みの日は昼寝が楽しみになっているTDC齋藤です。

まだまだ新型コロナウイルスが落ち着く様子はなく、
必要最低限の外出しか出来ないため
うちの中で過ごす時間が多くなっています。
普通なら休みの日は子供たちを遊びに連れて行くのですが、
みんな考える事は同じで公園に人が密集していますね。
外遊びすら自由にさせてあげられないので
子供たちもストレスを抱えています。

うちの中ばかりではつまらないですし、
少し前に三輪車を買ったんです。
長男は散歩が好きなので
近くを少しでも楽しく歩けたらと思い買いました。
子供たちから評判は良く
少しの時間ですが楽しんでいます。

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本当にどこも出掛ける事無く過ごしているため
何を書いたらいいのか悩みました。

今私たちに出来る事は感染しない過ごし方を
徹底していくしかありません。 1日でも早くマスクを外し、外食や、
遊びに出掛けられるようになってもらえたらと思います。

2021.04.30

『地元、伊達市保原町のエピソード』


今回のブログは
福島営業所の栁沼がお届けします。

ゴールデンウィーク真っ只中、のタイミングですが
みなさまいかがお過ごしですか?
ギフトという職業柄、カレンダーの休日とは無縁のようですが
高速道路の渋滞情報などを見ていると、このライフスタイルも
悪くはないように思っています。

早いもので伊達市保原町の生活を初めて1年半が過ぎました。
ブログを書くために、何か紹介できるエピソードはないかと探しており、
そういえば「江戸川乱歩疎開記念碑」
なるものが、伊達市保原町中央公民館の歩道脇にあった事を思い出し、
紹介することにしました。

地元でもあまり有名な話題ではないのですが
太平洋戦争末期、名探偵明智小五郎や少年探偵団などで有名な
「江戸川乱歩」が一時保原町に疎開していたようです。

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記念碑が平成十七年に建てられています。

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戦争から復員した乱歩は、大量の蔵書と一緒に疎開したようです。
場所は、保原町4丁目付近に滞在し、
10丁目にあった蔵を書物置場として管理しながら
執筆活動を続けたようですね。
その後、昭和20年8月の終戦を保原町でむかえ、
11月頃に東京都豊島区に戻ったようです。
その輸送方法として、路面電車の貨車を蔵に横付けして本を運んだようですが、
その量は貨車2両分もあったと言われているようです。

ただ残念なことに、
私はどちらかといえば横溝正史、金田一耕助好きの為、
詳しく語る事は出来ませんが、
いちど明智小五郎の登場した作品くらいは読んでおこうと思い
D坂の殺人事件は読んだことがあります。
初版が発売されたのが大正14年ですから、
その時代の背景に、登場する喫茶店や古本屋などがあり、
夜間も営業しているような明るさなんだな・・・
そのような空間やら時代を創造しながら読んだのを覚えています。

結局、明智小五郎のような、冴えわたる推理力もなく
なるほどね、と言った凡庸な感想で終わってしまいました。
しかしながら、保原町とのご縁があるようなので
地元の紹介として取り上げさせて頂きました。

4月、5月は寒暖の差が侮れなく、
体調管理は万全となるよう心がけております。
よろしくお願いします。

2021.04.23

『可愛い生き物』


今回ブログを担当します、
福島営業所の山本です。

最近暖かくなってきたなあと思う今日この頃です。

福島は桜が4月の初めに咲き始め
6日頃には散るという例年にない気候で新年度を迎えました。

さて今回は去年の12月上旬に
我が家で迎えたペットのイブについて話そうと思います。

イブは牛のような模様のメスのミニウサギです。

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なぜ名前がイブなのかというと
妻が「クリスマスイブに飼い始めたからイブ!」と決めてしまいました。
(実際には飼い始めたのはクリスマスイブではなかったのですが、、笑)

飼おうと思ったきっかけは、
このご時世でなかなか外出もできず、
妻がペットを飼ってみたいといったことです。

とはいえ、全然動物を触れない私たち夫婦。
チンチラを飼おうと思ったのですが、
ペットショップでミニウサギに一目惚れし
即決で連れて帰ってきました。

最初はイブの環境作りが大変でした。
ウサギは定期的に部屋の中を散歩させる
「へやんぽ」が必要なため、
まずはスペースの確保です。

空き部屋があったので、
100円ショップで買ってきた柵で周りを囲み、
二人でビクビクしながらウサギのお出かけキャリーから、
イブを部屋に迎え入れました。

調べると最初の一週間は環境に慣れさせるため
こっちからは何もしないと書いてありました。
それでも早めに慣れたのか、
四日目くらいでイブから寄ってきたり
膝の上に乗ってくるようになりました。
私たち夫婦は大喜びです。

トイレは覚えないと聞いていましたが、
イブは超お利口さんで、
決まった場所にトイレをしてくれています。

イブは脱走の常習犯です。
驚異的なジャンプで柵を飛び越えたり、
押して隙間が空いていたら脱走してしまいます。
かなり頭がよく、脱走されては対策しての繰り返しで
毎日いたちごっこでした。

あまりに脱走するので、
「へやんぽ」の時は夫婦のうちどちらか1人を
監視員として置くことにしました。
コードをかじったりすると感電して危険なのです。

あっという間に半年が過ぎましたが、
イブももうすぐ反抗期を迎える様です。
これから一体どうなるのでしょう・・・

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ウサギは声帯がないため鳴くことはありませんが、
喜怒哀楽はとても伝わってきます。

嬉しいと真上にピョンと跳ねたり、
撫でられて気持ち良いと目を閉じてコツコツ歯を鳴らします。
怒った時は足を鳴らす「足ダン」が繰り出されます。

このように毎日癒されているのですが、
そろそろイブを外の散歩「そとんぽ」に連れていき、
イブと妻の喜ぶ顔が見たいなと思っています。

このご時世なのでまだまだ厳しい状況ですが、
気持ちを落とすことなく体調に気を付け、
家族のためにも仕事を頑張っていきます。

2020.12.28

『東日本大震災から10年』


福島営業所の長沼です。
2020年もあっという間に過ぎ、
間もなく2021年を迎えようとしています。
コロナの余波はいつまで続くのやら・・・
今後も感染に注意しながら
日々過ごしていきたいと思います。

さて本題ですが、2011年の東日本大震災から
間もなく10年を迎えようとしています。
節目にあたり私が経験したことなどを綴りたいと思います。

私が入社して間もなく8年が経とうとしています。
ちょうど、その2年前に東日本大震災が起きました。
当時私は震源地にほど近い宮城県名取市で
葬儀関係の仕事をしていました。

本社は閖上という地区にあり
海から3㎞ぐらいの場所にありました。
葬儀ホールは市街地にあり、
地震の影響は受けましたが
津波の難は逃れました。

3階建ての本社倉庫には、自宅飾り用の祭壇や備品、
店舗には仏壇や花瓶など仏具一切を販売しており、
すべてがあっという間に飲み込まれてしまいました。

私は3/11震災当日に葬家自宅で通夜、
翌3/12に寺で告別式のお客様の担当をしておりました。
葬家も寺も閖上地区にありました。
午前中にある程度準備を終え、
倉庫で夕方の通夜に備えていたところ
14時46分いきなりドーンと立っていられないほどの
物凄い縦揺れの地震に襲われ、
それが5分ぐらい続きました。
倒壊する家屋が何件もあり、道路は亀裂だらけ、
至る所で水が噴き出している状況を目の当たりにしました。
最初に本社敷地内の社長宅で会長夫妻を
仲間とともに散乱した家財の下から救い出し
近くの公民館に避難してもらいました。

その後は、とても怖かったのですが
勇気を振り絞り自転車で葬家宅の確認に向かいました。
祭壇は木端微塵に崩れ落ち、
棺で眠るご遺体も乱れてしまっていました。
祭壇は無理なので、取り急ぎご遺体の乱れを整え
喪主と日程の延期を決めました。

次に、自分のアパートに体調不良で寝ている
妻の様子を見に行きました。
部屋に入るなり、寝室側の天井が落ちてしまっていて
剥き出しの鉄骨が見えた時には愕然としました。
運よく妻は居間で書き物をしていたということでした。
このまま居ても危険だからと、
先に車で街中の大きい病院に避難してもらいました。

その次に寺に向かいましたが、本堂は酷い状態ですし、
お墓もほとんど崩れてしまっていました。
住職に相談し日程を延期しましょう。と話していると、
けたたましいサイレンが鳴りだし消防団の「津波がくるぞ~」「逃げろ~」
という声が聞こえてきました。

その時、後ろを振り返ると、
本当に恐ろしい縦にも横にも
何メートルあるのかというぐらいの
黒い海水の塊と煙のようなものが
「グォ~ッ」と聞いたことがない唸りをあげて
迫ってきていました。

皆、避難所へ向かっているのですが
走ることが出来ない高齢者や
その人たちを何とか守りたい若者、
車で逃げてきたが渋滞や亀裂により前に進めない人々、
逃げる途中で津波に気づいた人など、
とにかくみんな必死で逃げていました。

閖上には高い建物が3階建ての中学校しかなく
大体の人がそこを目指していたので
車も人も大渋滞を起こしていました。

私も生き延びることに必死で、
自転車を捨てて持てる限りの力を出し
人ごみを掻き分け必死で逃げました。

時間にしてどのぐらいだったのか、
全く記憶にないのですが、なんとか中学校の
階段に向かうところまで辿り着きました。
しかし皆、3階あるいは屋上を目指しているので
どこにも上るスペースがありません。
私も「俺もこのまま終わっちゃうのかな~」と
覚悟した記憶があります。
後ろを振り返る余裕なんて一切ありませんでしたが、
間違いなく津波はすぐそこまで来ています。
階段は諦め一か八か校庭側に逃げました。
運よく鉄筋の部室が建っていました。
部室の横にはプールがあり
フェンスで囲った上にはばら線が
幾重にも巻いてあります。
フェンスをよじ登り、
それを掴まない限りは部室の上には辿り着けません。
痛いのも構わずなんとか登り切ると
津波がギリギリを通過していきました。
まさに九死に一生を得る思いでした。

暫くしてから、波がサ~ッと引いていきました。
その中に一人の女性がずぶ濡れになりながら
なんとか木に掴まって助けを求めているのが見えました。
水は少し引いたので自分も濡れながら、
なんとか助け出すことが出来ました。

それから、校舎に避難している人に体育館のカーテンを
ロープ代わりに救助していただき、
無事校舎に避難することが出来ました。
教室では真っ暗で寒い中食料も無く、
すべて飲み込まれてしまった町、
至る所でのガス爆発、火事、
迫りくる炎の恐怖に耐えながら
一晩を過ごしました。

翌日になり自衛隊の救助のお陰で、
皆さん避難することが出来ました。
私もなんとか妻に会うことが出来ました。

後日、報道にもありましたが
閖上地区は人口7,000人ほどの小さな町ですが
およそ750人の方々が亡くなりました。
翌日の午後、現場を見に行きましたが
凄惨な状況だったとだけ申しておきます。

他の現場を見に行っていた仲間、
寺の副住職、消防団、会社のご近所の皆様、
その他の方々に改めてご冥福をお祈り致します。
私は本当に運よく生かされた身であるということを常に肝に銘じ、
これまで出会った方またこれから出会う方
全ての皆様に感謝の気持ちを忘れずに、
日々の業務に真摯に向き合って行きたいと思います。

大変恐縮ではありますが、
この10年近く心の中に溜め込んでいたことを、
ブログを使わせていただき思いを
吐き出させていただきました。

2021年は明るい話題が豊富な
一年になるように期待しています。

2020.09.11

『チャレンジ』


今回ブログ担当させていただく福島営業所の齋藤です。

少しづつ涼しい日も増え、過ごしやすくなってきましたね。
とは言え、なかなか外に出歩きにくい状況も続いているため、
最近の休日は日用品や食材を買いに行く以外はほぼうちにいます。
そこでちょこちょこ台所へ立つことがあります(笑)
全然料理なんて出来ないのですが、
インターネットの時代ですから
検索してしまえばいくらでも作り方は出て来ます!

最近チャレンジしたのが「カレー」です。
カレールーを使えば誰でも簡単に作れますが、
私は大好きなバターチキンカレーを作りたかったので
少し難易度を上げて、カレーのターメリックを使用してやってみました。
YouTubeやクックパッドを見たままに作ったので
失敗のしようもありませんでしたが(笑)

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家族も喜んでくれましたし、
初めてにしてはうまくいったのではないかと思います。

何よりも自分が作ったものを
美味しいと言ってもらえることが
こんなに嬉しいとは思わなかったので
料理を作ってくれる方に感謝しなくてはと改めて感じましたし、
新しい事に挑戦する楽しさも知りました。

まだまだ世の中の状況は難しいところもあります。
この時間をただ無駄にするのではなく
これまでやりたくても出来なかった事に挑戦する
いい機会になるのではないでしょうか!
今後も仕事やプライベートで
何事にもチャレンジしていきたいと思います。