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BIG FISH
2013.06.25

BIG FISH

こんにちは。
(株)モリ・エンタープライズ代表の森です。

去る6月21日は、弊社の創業者であり、私の実父でもある森一男先代社長の命日でした。
父は20年にわたり会社代表を勤めておりましたが、
大腸癌を患い、3年あまりの闘病の末、健闘むなしく3年前に他界致しました。
享年77歳でした。

父を亡くしてから、その命日に私が必ず観る映画作品があります。
今回は、少し長くなりますが、このお話をさせていただきます。

その映画とは、ティム・バートン監督による2003年公開のアメリカ映画
『ビッグ・フィッシュ』という作品です。
私はこの監督の作品がどれも好きですべて観ていますし、
本作も公開の際には劇場へと足を運び、DVD化されるやすぐに購入しました。

これは、ジャーナリストの主人公ウィルと彼の父エドワードとの、父と息子の確執~和解の物語です。
ざっくりとですが、あらすじをお話ししましょう。
(これから観ようと思っている方、ネタバレありです)

高齢の父エドワードは、自らの人生をお伽話のように巧みに語って、聞く人を魅了する街の人気者です。
幼い頃未来を予見する魔女と出会った話、若き日に雲つく巨人と一緒に旅した話、
人を襲う森とその先にある美しい町の話、ベトナムからシャム双生児を救出した話、
一万本の水仙で丘を埋め尽くし、妻となる女性にプロポーズした話・・・

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どれも到底信じられないお話ばかりなのですが、
彼の冒険譚には夢が満ち、滋味のある語り口とあいまって、聞く人誰もが楽しい気分になりました。
息子ウィル自身も幼い頃は父の奇想天外な話が大好きだったのですが、
成長するにつれそれが作り話であることに気づき、
いつしか父の話を素直に聞けなくなり、不信感から数年来絶縁状態となっていたのでした。
ある日母親から、患っていた父の容態が悪化したとの報をうけ、実家へと向かいます。
エドワードは一日のほとんどをベッドで過ごしつつも、相変わらず愉快な思い出話ばかりを語ります。
ウィルは、そんなどうでもいい法螺話ではなく、もう先が長くない父の本当の姿、
父の真の人生を知りたいと葛藤するのです。
しかしそんな折、ひょんなことから、お伽話の中には真実が隠されていることに気づきます。
エドワードの語るお伽話は、すべてが荒唐無稽な作り話ではなかったのです。
そのまま話してもつまらないのが現実なら、面白く聞こえるよう再構成したり、
少しの嘘や誇張を入れて膨らませ、聞く人を幸せにしようじゃないか。
ほら吹きだと思っていた父は、実はそんな素晴らしい才能の持ち主だったことを知るのです。

間もなくエドワードの様態は急変、命の灯火が尽きようとするとき、
もはや口がきけなくなった父の枕元で、ウィルは父に代わり、
今度は彼自身が想像力の翼を広げ、父の物語の続きを豊かに創作して語って聞かせるのでした。

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エドワードの意識は息子の語る物語に同化し、再びお伽話の主人公となり、
美しいイマジネーションの中で安らかに永久の眠りにつくのです。
そして葬式の日、これまでエドワードの物語に登場した人々(彼によって誇張された、現実の人間です)が
一堂に集まり見送るシーンで、物語は静かに幕を下ろします。

エドワードの語る若き日のお伽話のような回想シーンは
ティム・バートンらしい色鮮やかで幻想的なビジュアルで描き出され、
老いた彼が病で死にゆく現実のシーンとドラマチックな対比を魅せています。
そして映画のエンディングに向かって、このふたつが見事に交錯してゆくのです。

では、なぜ私は父の命日にこの映画を観るのか。
父が好きな映画だったから、というわけではありません。
その理由は、エドワードという人物のキャラクター像、そして息子ウィルとの関係が、
亡父の人物像と、私との父子関係に重なる部分があるように思えるからなのです。

私の父もエドワードのように、話が愉快で上手な人でした。
とはいっても、映画のようなファンタジー溢れる冒険譚を話したわけではありませんが、
かなり「盛った」話をするのが得意で、他の人が話したらどうということの無い内容でも
彼が話すとドラマチックな広がりをみせ、聞く人を魅了しました。
誰も傷つけない嘘、とでもいうのでしょうか、たいそう物事を誇張して話す人で、
その江戸っ子気質の軽妙な語り口で、相手を楽しませることが好きでした。
お酒の席などでは、大きな声で滑舌よく話す父の回りには自然と人が集まり、
映画のエドワード同様、友人の多い人気者でした。

私も子供の頃は、父が話してくれる「物語」をワクワクして聞いていました。
その頃はまだ起業する以前のサラリーマンでしたが、
それでも父の語る大人の世界はとてもドラマチックで、
そこで活躍する彼はヒーローのようにカッコよい男に思えました。
しかし、物事の判別がしっかりつくような年齢になるにつれ、
話はだいぶ大げさに脚色されている部分も多いことを知るようになり、
いつしか「話半分」で聞くようになりました。
高校生にもなると、当時一介の会社員だった父がむしろ平凡な人間に思え、
大学に入り独り暮らしを始めた頃には、だいぶ疎遠になってしまいました。

その後父は会社を興し、私は全く別の業界に就職することになりました。
年に数回会う父はいつも若々しくエネルギッシュで、
サラリーマン時代以上に自信に満ち、経営の醍醐味と
自分の築いた会社がいかに素晴らしいかを饒舌に私に語りました。
話半分では聞いていましたが(笑)、会社員だった当時の自分には
事業経営の話はとても魅力的に響き、いつしか父の話に取り込まれるように
自分もそういった世界で活躍することをイメージするようになりました。
そして、高齢になった彼の薦めもあり、事業承継の決心を固め、この業界に身を投じました。
会社に飛び込んでみると、やはりいささか大きく語っていた部分も多いことを知るのですが(笑)
それでも、彼が人脈や知己を活かし会社の礎を築いたこと、
事業のシステムを構築し、経営を確かな軌道に乗せ、
社員たちに生活の基盤を与えていたことはまぎれも無い事実です。
とかくポジティブ・シンキングで、何事にも大言壮語しがちな父とは
会社の方向性や経営のあり方について、しばしぶつかっておりましたが、
同じ目標を共有した数年間は、振り返るとかけがえのない時間だったと思えます。
病に臥してからも会社の動向にはいつも気にかけ、
ベッドの上で社員から届けられる議事録につぶさに目を通していました。
もう一度会社に復帰することをモチベーションに闘病を続けました。

「お別れの会」には、700人以上もの方々にお集まりいただきました。
親交のあった多くの人から、私の知らない父の姿を聞くことができました。
ほんとうに沢山の人々に支えられ愛された、
少しの誇張もない、リアルな父の人生が、そこにありました。

父が手塩をかけて築いた経営基盤の上に、私は今、代表として立っています。
映画の終盤、息子ウィルが父エドワードになり変わり、お伽話を語り継いだように、
ある意味、私も父が創ったこの会社を継承し発展させてゆくことで、
亡き父の夢の続きを紡ぎ、彼の物語の続編を描いているようにも思えるのです。

そんな想いを抱きながら、命日の21日には、
もう何度も観直したこの作品を、あらためて鑑賞しました。
やっぱり、素敵な作品ですね。
ご覧になったことのない皆さまには、本当におすすめの映画です。

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株式会社モリ・エンタープライズ

代表 森洋一

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