ブログ blog

« 『感じたこと』 | メイン | クラウチングスタートのように。~新年のご挨拶 »

『東日本大震災から10年』
2020.12.28

『東日本大震災から10年』


福島営業所の長沼です。
2020年もあっという間に過ぎ、
間もなく2021年を迎えようとしています。
コロナの余波はいつまで続くのやら・・・
今後も感染に注意しながら
日々過ごしていきたいと思います。

さて本題ですが、2011年の東日本大震災から
間もなく10年を迎えようとしています。
節目にあたり私が経験したことなどを綴りたいと思います。

私が入社して間もなく8年が経とうとしています。
ちょうど、その2年前に東日本大震災が起きました。
当時私は震源地にほど近い宮城県名取市で
葬儀関係の仕事をしていました。

本社は閖上という地区にあり
海から3㎞ぐらいの場所にありました。
葬儀ホールは市街地にあり、
地震の影響は受けましたが
津波の難は逃れました。

3階建ての本社倉庫には、自宅飾り用の祭壇や備品、
店舗には仏壇や花瓶など仏具一切を販売しており、
すべてがあっという間に飲み込まれてしまいました。

私は3/11震災当日に葬家自宅で通夜、
翌3/12に寺で告別式のお客様の担当をしておりました。
葬家も寺も閖上地区にありました。
午前中にある程度準備を終え、
倉庫で夕方の通夜に備えていたところ
14時46分いきなりドーンと立っていられないほどの
物凄い縦揺れの地震に襲われ、
それが5分ぐらい続きました。
倒壊する家屋が何件もあり、道路は亀裂だらけ、
至る所で水が噴き出している状況を目の当たりにしました。
最初に本社敷地内の社長宅で会長夫妻を
仲間とともに散乱した家財の下から救い出し
近くの公民館に避難してもらいました。

その後は、とても怖かったのですが
勇気を振り絞り自転車で葬家宅の確認に向かいました。
祭壇は木端微塵に崩れ落ち、
棺で眠るご遺体も乱れてしまっていました。
祭壇は無理なので、取り急ぎご遺体の乱れを整え
喪主と日程の延期を決めました。

次に、自分のアパートに体調不良で寝ている
妻の様子を見に行きました。
部屋に入るなり、寝室側の天井が落ちてしまっていて
剥き出しの鉄骨が見えた時には愕然としました。
運よく妻は居間で書き物をしていたということでした。
このまま居ても危険だからと、
先に車で街中の大きい病院に避難してもらいました。

その次に寺に向かいましたが、本堂は酷い状態ですし、
お墓もほとんど崩れてしまっていました。
住職に相談し日程を延期しましょう。と話していると、
けたたましいサイレンが鳴りだし消防団の「津波がくるぞ~」「逃げろ~」
という声が聞こえてきました。

その時、後ろを振り返ると、
本当に恐ろしい縦にも横にも
何メートルあるのかというぐらいの
黒い海水の塊と煙のようなものが
「グォ~ッ」と聞いたことがない唸りをあげて
迫ってきていました。

皆、避難所へ向かっているのですが
走ることが出来ない高齢者や
その人たちを何とか守りたい若者、
車で逃げてきたが渋滞や亀裂により前に進めない人々、
逃げる途中で津波に気づいた人など、
とにかくみんな必死で逃げていました。

閖上には高い建物が3階建ての中学校しかなく
大体の人がそこを目指していたので
車も人も大渋滞を起こしていました。

私も生き延びることに必死で、
自転車を捨てて持てる限りの力を出し
人ごみを掻き分け必死で逃げました。

時間にしてどのぐらいだったのか、
全く記憶にないのですが、なんとか中学校の
階段に向かうところまで辿り着きました。
しかし皆、3階あるいは屋上を目指しているので
どこにも上るスペースがありません。
私も「俺もこのまま終わっちゃうのかな~」と
覚悟した記憶があります。
後ろを振り返る余裕なんて一切ありませんでしたが、
間違いなく津波はすぐそこまで来ています。
階段は諦め一か八か校庭側に逃げました。
運よく鉄筋の部室が建っていました。
部室の横にはプールがあり
フェンスで囲った上にはばら線が
幾重にも巻いてあります。
フェンスをよじ登り、
それを掴まない限りは部室の上には辿り着けません。
痛いのも構わずなんとか登り切ると
津波がギリギリを通過していきました。
まさに九死に一生を得る思いでした。

暫くしてから、波がサ~ッと引いていきました。
その中に一人の女性がずぶ濡れになりながら
なんとか木に掴まって助けを求めているのが見えました。
水は少し引いたので自分も濡れながら、
なんとか助け出すことが出来ました。

それから、校舎に避難している人に体育館のカーテンを
ロープ代わりに救助していただき、
無事校舎に避難することが出来ました。
教室では真っ暗で寒い中食料も無く、
すべて飲み込まれてしまった町、
至る所でのガス爆発、火事、
迫りくる炎の恐怖に耐えながら
一晩を過ごしました。

翌日になり自衛隊の救助のお陰で、
皆さん避難することが出来ました。
私もなんとか妻に会うことが出来ました。

後日、報道にもありましたが
閖上地区は人口7,000人ほどの小さな町ですが
およそ750人の方々が亡くなりました。
翌日の午後、現場を見に行きましたが
凄惨な状況だったとだけ申しておきます。

他の現場を見に行っていた仲間、
寺の副住職、消防団、会社のご近所の皆様、
その他の方々に改めてご冥福をお祈り致します。
私は本当に運よく生かされた身であるということを常に肝に銘じ、
これまで出会った方またこれから出会う方
全ての皆様に感謝の気持ちを忘れずに、
日々の業務に真摯に向き合って行きたいと思います。

大変恐縮ではありますが、
この10年近く心の中に溜め込んでいたことを、
ブログを使わせていただき思いを
吐き出させていただきました。

2021年は明るい話題が豊富な
一年になるように期待しています。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://bb.lekumo.jp/t/trackback/492760/34222993

『東日本大震災から10年』を参照しているブログ: